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towelmuffler

写真とか、大事なこととか。忘れないようにするためのブログです。

MY OLYMPIC(越川優選手出演分)書き起こし【前編】

毎朝会社に行く前に一生懸命聴いていた、

ラジオ『MY OLYMPIC』の越川優選手出演分(2017年1月30日~2月3日、2月6日~10日)を書き起こしてみました。

 

iPhoneで流してiPadで録音するという原始的な方法をとったので、途中でiPadの容量がオーバーして録音できないこともあり完全ではありません(かなしい)。

また、本人の口調をそのまま書き起こしたかったのですが、聞きそびれている部分もあるかもです。ご了承ください。

 

まずは最初の1週間分です。

バレーボールとの馴れ初めから、高校時代まで。

MY OLYMPICとは・・・「日本を代表するトップアスリート・オリンピアンが毎週出演!アスリートの皆さんのオリンピックにかける想い・意外なエピソードなどにナビゲーター荒川静香さんが迫ります。」

公式HP→MY OLYMPIC

 ※『』内は番組パーソナリティーのナレーションです。

 

【2017/1/30】

『今週はバレーボールで2008年のオリンピック北京大会に出場した、越川優選手のインタビューをお届けします』

『バレーボールのVリーグJTサンダーズに所属し、プリンスオブニッポンバレーというキャッチコピーを持つ現在32歳の越川選手。
バレーボールという競技は幼いころから身近な存在だったようです』

三つ上に姉がいるんですけども、姉とはすごい仲が良くて。
両親ともバレーボールをやっていたこともあって、家には常にバレーボールが転がっていたので。
2人でパスしたりとか、キャッチボールしたりだとか、そういうのはやってましたね。

『スポーツ選手に限らず、スポーツを始めるきっかけとなるのは、やはり家族や身近な人の影響によるところが大きいと思います』

まずバレーボールっていうものが、両親がやっていたということもあって、
本当に産まれた時から近くにあったんですね。

両親ともプレイヤーとしてやってましたし、地元のチームなんですけども、それの応援に言ったりだとかして、そこで一緒にパスをしたりとか。
習う前にバレーボールを始めていた感じだったので。

そういった中で姉は中学に入ったらまずバレー部に入るっていうのは言い切っていて。
僕は姉が中学に入ってバレー部に入ったのを見て応援しに行っているうちに、自分も絶対やりたい・・・(以下、録音できなかったので書き起こしできず・・・)

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【2017/1/31】

『2008年のオリンピック北京大会日本代表バレーボール男子の越川優選手。

両親や姉の影響で始めたバレーボールですが、中学生の時にバレーボール人生の大きな分岐点を迎えたようです』

市内で(バレーボールが)強い中学校に家を引っ越していったんですけど、
その段階で姉が中学の途中で強いチームから誘いをもらって引っ越しして変わったのを見てたので。
やっぱりバレーボールだけじゃなくて子どもの頃から習い事すべて、姉がやってたことを自分は真似してやってきたんですね。
なので強い学校に行くということも、親がもう勧めてくれていたので。市内で一番強いチーム、一番自分が魅力を感じたチームに中学校に行く段階で選ぶことができたので。

その段階ではやはり「選ぶ」ということは生半可な気持ちじゃ、やっぱり親にもお願いできることではなかったので。
その段階ではもう本気でバレーボールをやっていくというのは、心は決めてました。

『家族のバックアップのもと、中学生にして「心は決めていた」という越川選手。こういった時期から自分で自分の道を選択していくことでバレーボールに対する決意が生まれていったようですね』

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【2017/2/1】

『石川県で生まれ育ち、現在はJTサンダーズウイングスパイカーとして活躍するバレーボール男子の越川優選手。
初めて全国大会を経験した中学時代の話をうかがいました』

僕が中学に入学したときは、
3年生主体のチームなんですけども、県大会かな、2回戦ぐらいでもう負けちゃったんですね。そのあとは2年生の主体のチームになって新人戦とか戦っていったんですけど、そのチームで全国大会まで行って、全国大会は予選で負けたんですけど。
それが一応中学のときの最高成績で。

自分も試合に出させてもらってて、すごい嬉しかったんですけど、全国へ行ったら行ったで、勝ちたいって想いも出てきてたし。
負けたことが悔しくて、自分の代になって(勝ちたいという気持ちで)やってはいたんですけど。自分の代は北信越(大会)で終わってしまったんで。

中学では、全国に出たっていうことはすごい自分にとってプラスになったんですけども、成績に満足することができなくて。
やっぱりその、高校選びっていうのはもっとレベルの高いとこでやりたいっていう気持ちに繋がっていきましたね。

『中学生で全国大会を経験したことが本人にとってもプラスになっていたようですが、そこで満足せずにさらに高みを目指した越川選手。悔しさを次に繋げていくことができたようですね』

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【2017/2/2】

『(録音切れて途中から)・・・バレーボールの名門、岡谷工業高校に進学しました』

僕が中学3年の、その北信越大会で負けた翌日か翌々日の夜に、家に1本電話がかかってきたんですよ。
岡谷工業高校の壬生です、と。噂は聞いてるんですけどうちに1回練習見に来ませんかと言っていただいて。
まあ、岡谷工業は公立高校なので、県外からの推薦とかももちろん取れないですし、うちは県内の選手で今までやってきたと。
これ結構笑い話になるんですけど、きみが来たいんだったらうちはなんとかして入れてあげるよみたいな感じだったんですよ(笑)。
でも個人的にはすごい嬉しくて。まさかその自分が中2の時に見た岡谷工業から声がかかるなんて思ってもいなかったので。

他の学校もいくつか声をかけていただいたんですけど、やっぱりその時に話をさせてもらった壬生先生の考え方であったりだとか、チームとしてのやり方であったりとか。強い弱いは別として、そういう方針にすごい惹かれて。
なんとしてでも岡谷でやりたいなと思って、行かせていただきました。

『高校進学にはこんなエピソードがあったんですね。
今では笑い話だと語ってくれた越川選手ですが、2002年には釜山アジア大会で高校生として初の代表入りを果たすこととなりました』

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【2017/2/3】

『スピードのある鋭いサーブが特徴のバレーボール男子、越川優選手。
高校進学に際しては、地元を離れ県外の強豪高である岡谷工業高校へと進学します』

自分が入る1週間前の春の高校バレーで、岡谷が3連覇しているというのを見ていて。
自分の中でその岡谷工業で自分も日本一になって、そこからもう世界に出たいっていう気持ちがもう固まっての入学だったんですよ。
僕は覚えてないですけど、1年生歓迎会の時に親とかみんな来てやるんですけど。
その時に「高校卒業したらオリンピック出ます」って言ってたらしいんですよ。

『高校入学前から日本一への強い気持ちを持ち、無自覚ながらオリンピックへの夢も口にしていた越川選手は、1年生にして高校三冠という経験をすることになりました』

春高バレーインターハイ、国体と高校三冠というのを獲ることができて、1年生の時に。

先輩に引っ張ってもらった優勝だったんですけど、それはやっぱり経験させてもらったので。
勝つ喜びっていうのを、高校1年の段階で感じることができて。
全国でも負けちゃいけない、岡谷は負けちゃいけないっていうのをずっと叩き込まれていたので、そういった中で3年間やってきたっていうのは、その1年生の最初の結果があったからだなと思います。

『負ける悔しさをバネにするということもありますが、やはり勝つ喜びというのもスポーツをプレーしていく中では大きなモチベーションになるんですよね』

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もう1週間分は後日に。

 
<その他、越川選手関連の読みもの>

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