新しい旅のはじまり。
これは2016年8月1日の言葉たちだ。
下書きに残っていたものをなんとはなしに読み返すと、今の自分に深く沁みた。
当時の苦しさをぶり返す夏は、毎年本当につらい。
もしも人間が1年間通して稼動しなくてもよいのなら、自分は真っ先に夏を閉じる。
でもそんなことはできないから、
自分自身ができる最良のリハビリを一生涯をかけて続けてゆこうと改めて思いました。
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身体の調子がめずらしくなんだかおかしいぞ、と。
すぐ治るかなーと思ったら、そうでもなくて。
そして、
「うつ」と診断され、
おおお・・・と足がすくみました。
無縁のような気がしていたのです。
それっていつ治るものなのだろう。
どうやって治すんだろう、自分に治す力はあるのだろうか。
調べてみるほど、
不安でたまらない。
ゴールはどこだ?
その気持ちこそが、多分いけない気がしていました。
そもそも「治す」ものなのか?
自分の一部としていくものなのか?
答えが見つかれば、
すごく大事なものを取り戻すことができるかもしれない。
生きている間に見つかるといいな。
「焦らないで行こう」が合い言葉。
そう必死に言い聞かせながら、
記録として残しておこうと思いました。
6月後半。
ブンブンサテライツ川島さんに対する「喪失感」をきっかけに、
自分自身をぽろぽろと失っていくような感覚があって。
ちょうどそのとき、
2カ月くらいかけてのじっくり向き合うなかなかにタフな仕事に取り組んでいて、
リリース日はそれはもう達成感があるんだろうと思っていて。
でも、何もなかったみたいに扱われてしまって、悲しくてつい怒ってしまった。
そして、怒ってしまった自分がダメに思えて、ズズンと沈んでしまいました。
それから、いままでよりも駆け足で、
「空虚感」「脱力感」「何もしたくない・できない」
そんな気持ちが心を埋めていって、
日々の景色がまっくらでまっしろけな状態になっていきました。
仕事に行って、帰ったら早く寝たくて。早く寝られない日は次の日体調がすこぶる悪く、朝から泣き出してしまいそうになったり。
大好きなお酒も、呑むとひどく気持ちが落ち込むようになって、お誘いを断り続けました。
土日のどちらかは、母のリハビリになればと実家に帰っていた5年目の習慣も続けられなくなってしまいました。
天気の良い休日。シャワーをあび、着替え、化粧までして、家に出ようとするとお腹が痛くなり、めまいもする。そこからずーんと身体が動かなくなる。布団に逆戻りして、部屋を真っ暗にして、何もできない虚しさやら情けなさにに泣きながら寝ていました。
平日はなんとかやり過ごして、
休日は家でじっとしている。
また明日が始まるのかと考え始める前に、寝る。
そうしないと、「なぜ?」ととめどなく考えて苦しくなる。
そういえば、こどものころからこんなふうにズーンとなることがあった。
でも今みたいに長く続いたことはなかった。
そしてなにより、自分は大人だ。このままでいいはずもなく。
あまりにも苦しくて、明日にでも仕事にすら行けなくなりそうでこわくなり、ネットで症状を調べて心療内科の予約をして。
仕事帰りにこわごわと向かい、アンケートと問診を受けました。
そこでやっと、かいつまんでではあるけれど今の自分の状態を冷静に言葉にすることができて…でも、問診される時に「後ろ向きになっているから、それをなんとかしないと」と言われたのにはなぜか怒りがこみ上げてきて。
治したいのになぜだろう?
そんな簡単に言うなよって思ったのか、
後ろ向きという状態が今の自分を表現するのに適切なものなんだろうかとか。
心が一気にトゲついてそのあと急降下しました。
自分の気持ちを制御できないこわさに、
普段の何気ないコミュニケーションも消極的になっていき・・・。
おそろしくて、早く週末になって病院へ行きたかった。
カウンセリングを受ければ、魔法のようにパッと解決してくれるだろうと。
しかし、最初にカウンセリングを受けて感じたのは
「これは長い旅のはじまりになる」
ということ。
今の年齢から、その旅ができるのかはわからないけれど
やってみようと思いました。
時に考えたり、まとめたり、書いたりすることが、
リハビリになればとも。
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あれから2年、もがきながらの旅は続いている。
ピンチは何度でもある。嬉しいことも悲しいことも、心の負荷になるのだと知る。
大事なのは、気が狂いそうになったり壊れそうになるときに、自分自身が最強の味方になってあげることだ。
良い意味で、他人を信じない、期待しない。
よりかからない、依存しないってこと。
自分には、今しかない。我慢とか自己犠牲とか、どこにも繋がっていかないから。
やりたいことをやって、行きたいところへ行って、何度だってコロッと変わってゆきたいと思う。
FCケルンのホーム、RheinEnergieStadionから見上げた空。飛行機雲。
ケルンでの出来事は、いつだって自分を立ち上がらせてくれる。