towelmuffler

写真とか、大事なこととか。忘れないようにするためのブログです。

今、からはじまる

越川選手がさらけ出した不安な気持ち。それでも進んでゆきたいという、自分自身を奮い立たせるように下した決断。

どうしていくのがいいかなんてきっと誰もわからない、本人すら揺れているのに。

だから、今。今の姿を見る。どんな道も、今があって始まると思うから。

number.bunshun.jp

 

2014/15シーズンのファイナルを見るまでは、バレーボールをテレビですら見たことがなかった。

あの日越川選手のプレーを見ていなければ、出会うことのなかった感動がたくさんあった。

 

チャレンジすることを続けてきた越川選手だから。

最初は不安だらけの名もない道にも、これまでのように喜びが、そしてたくさんの感情が、花のように様々な色を持って、新しく尽きることなく生まれていくんじゃないかと思う。

そして、それに触れた人たちが、感動をもらって新しい道を見つけてゆくのかもしれない。

自分はそうだったから。越川選手への感謝の気持ちがずっとある。自分の芯を少し強くしてくれている存在。

 

今はただただ、目の前のプレーをしっかり見る。

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インプット、アウトプット

年末年始、勝ち負けのある風景からのインプットばかりだったので気が休まらなかったのかもしれない。

意識的にお休みを取ることにした。

「もやっ」から少し解決したことを書いたり、写真を見返してこれ!っていうのを選んでおいたり。

アウトプットも増やしていこう。

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考えたり、やめたり。

考えるのは楽しい。それを言葉にするのも好きだ。

でも、時にはどちらもやめることが自分のためにもなるなあと思う。

 

自分のなかでは、

応援するってことは、それに任せてなんでもやっていい・言っていいわけじゃなくて。

悪い言葉を選ばないように。

ひとつの思考にとらわれすぎないように。

きっと自分に返ってきてしまうよと。

そしてそれに苦しんでしまうと思うから。

 

だから、無理に考えない。無理に言葉にしない。

好きなことだからこそ、慌てない。

大事に考える、大事に言葉にする。

対岸を想う。

2015年の大学サッカーインカレ決勝、自分が思っていたよりも心にズシンとくる光景だった。

駒場から駅まで、呆然としながらとぼとぼと歩く。道程も含め、優勝したチームにおめでとうと思った。でも、自分はその対岸を想っていた。

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いろんなことがあっていい、こつこつと。

いまだに受け止めきれていない2016年からそろそろ2017年に。

年は変わるけれど、仕事以外は特に納めるものはなく、むしろこつこつと続いていけるように。

無気力になって何も動かなくなるあの日々は苦しくておそろしかった。

だから、いろんなことがあっていいから、大地に近いところで這って水をすくいエネルギーをもらってありがとうと言いながら。生きている間は生きる。

毎週楽しみにしているバレーボールには特に感謝しています。観戦しに行きたいなあと思えば元気でいようと思える。そして生でその空気を感じると感動して、エネルギーが満ちる気がする。

頼るけれど寄りかからない、ありがとうと伝えられるときに伝えながら。

ここからまた、優しい早さで心が動いていけますように。

「自分のうつ」との記録(2)

タイトルの通り、

人によってはあまり気持ちのいい内容ではありません。

なのでワンクッション!

自分は色んな方の体験記を読んでヒントをもらっています。それらが全てなのではなくて、自分なりに少しずつ欠片をもらいながら、考えることをしています。ヒントはたくさん落ちていればいるほどいいかなと思ったので、こうやって書いて残しておこうと思いました。

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全部、必然。

あっちへこっちへと走り回っていたときは

手元にあるチケットを確かめるたびにわくわくとしているヤッホー&ヤッホーな生活でした。

 

これを仮に幸せの基準とすると、

今は不幸ということになる。

 

でも、

あの日々を愛おしく思い、感謝することができる今も

すごく幸せであると感じています。

過去であれ、

自分の過ごしてきた時間を「いいな」と思うことは今の自分を「あの時よくやったぞ」と優しく撫でてやることのようで。

自分で自分を褒めるって、実は一番受け入れやすく、嬉しいものでした。

謙遜とは美しいようでいて、自分には窮屈だったみたいだ。

 

幸せの基準はなかった。

不幸の基準もなかった。

 

なんでもいいよな!

と思うようになりました。笑

 

自棄になっているのでは決してなくて、

どっちもあってもいいではないかな~と。

 

自棄になりまくっていたときがあったからこそ、

こういう考え方に変わっていったのだと思います。

 

苦しい経験の先に、安らぐ着地がある。

「ほっ」としていこう。