「自分のうつ」との記録(4)
タイトルの通り、
人によってはあまり気持ちのいい内容ではありません。
なのでワンクッション!
自分は色んな方の体験記を読んでヒントをもらっています。それらが全てなのではなくて、自分なりに少しずつ欠片をもらいながら、考えることをしています。ヒントはたくさん落ちていればいるほどいいかなと思ったので、こうやって書いて残しておこうと思いました。
思い返すと、
「がんばってるなー」と思って充実感を得ていたとき、それはそれは危ない状況だったのだなと思う。
その充実感、すごく薄っぺらなんだって気がつかないのが危ない。
我慢してるふりと引換えの充実感。
仕事は我慢するもの、笑っているもの。
よおし、うまくやれてるなあ!
なんて高ぶる気持ちにここ最近久しぶりになり、でもほんの1週間続いてすぐなくなりました笑。
お金もらっているんだもん、とか。大人なんだから当たり前、とか。
なんだろうその、まともそう(これがいけない)で自分を追い詰める系の思想は、と。
これ、自分だけじゃなくて他人にも強いるようになってしまうんだよなあ。
10年くらいそんな気持ちで仕事してたのかーと思うと、本当、お疲れっすとしかいいようがなくて。
過去のことはしかたない。むしろ、終わってよかったねって言いたいです。
たまに軽くぶり返すのが、やだなあ。笑
今は。
自分の楽しいように仕事の道筋を少しずつぐいぐいと曲げたりしてみている。
しかしそれが叶わずとも、まあ、いい。
とりあえず後悔しないように、と走り抜けてみる。
それも可能な限りで、いいじゃないかと思う。
ここ最近、心の深いところでずーんと考えていること。
やりきって力が抜ける瞬間は、安堵と不安があるということ。
もう少しやった方がいいのかな? っていう不安って、なんなんだろう。
どこから生まれてくるのだろう。
なんの幻に追いかけられているんだろう。
これもぶり返しの一種なのだろうか。
心が騒いでいないと気がすまないのだろうか。
いや、ただ単に雑な感じに欲深いのか。それだったらいやだなあ。
自分には定期的に静寂が必要だ、と思う。
本の文字を追ったり、音楽を聴いたり、撮った写真眺めたり。
いいと思っているものに触れて、取り戻していく時間。
書いているとき、心で流れていたのは100s「いきるもの」。
あぁ。「忘れない。」を。さぁ。忘れないぞ。