「最後の願い」のその先に。
奇跡的に晴れた今日は、父と母が京都に日帰り旅行へ行く日だった。
病気のこともあって旅行は無理だねと言い聞かせつつ京都に行ってみたかった母。やっとのことで行けることになったのに、天気が悪そうで神様を恨みそうになったけれど。
本当によかった。
母から「楽しかったよ!」とメールがきたので、うれしくてうれしくてこうやって文章に残しています。
6年前に実家の母が脳内出血で倒れ、日常になっていたものが一変した。
悲しかったり苦しかったりする日々に押しつぶされてしまいそうだったけれど、そこから目をそらさずにひとつひとつ決断し、行動できてよかったんだとそう思えることが増えた。
当時のことを思い出す。
麻痺で体が不自由になり、言葉もうまく発することができなくて、
そんな自分自身に絶望していた母を見ているのがつらかった。
元気なころの自分を取り戻したいのに取り戻せない歯がゆさに、命はとりとめたものの弱っていくのを近くで見るのは堪えた。
どんな言葉をかけたらいいのかわからなくて、それでも勝手だけどわたしのために生きていてほしかった。元気になってほしかった。
わたしたち家族は、それぞれ諦める勇気を胸に、とにかく明日生きることを考えた。
それからこつこつ6年、本当に色んなことがあった。
つらいことも多かったけれど、うれしいことが今までの何十倍もうれしく感じた。
最後の願いも、夢も、もうかなっているのだけれど。
それでも、今日みたいなことがあると、
生きているとそんな、最後を超えるようなうれしさに出会えたりするものなんだなと泣けてくる。
もしまた明日がやってくるのなら、
それはそれでいいのかもしれないと思える日だった。