「自分のうつ」との記録(8)
タイトルの通り、
人によってはあまり気持ちのいい内容ではありません。
なのでワンクッション!
自分は色んな方の体験記を読んでヒントをもらっています。それらが全てなのではなくて、自分なりに少しずつ欠片をもらいながら、考えることをしています。ヒントはたくさん落ちていればいるほどいいかなと思ったので、こうやって書いて残しておこうと思いました。
秋になった。
そう言い切れるくらい、心身ともに楽になった。
すごいな、今までこんなに敏感に季節を感じ取れたことはなかった。
秋の訪れは、本当に嬉しい。
そして、この嬉しさは当たり前にやってくるものではないんだなと噛み締める。
苦しい夏を、努力してなんとか壊れずにやってこれた。
自分、よおくがんばったねと熱いハグをしてあげたい気持ちになる。
この夏、課題に取り組んでみた。
「できない自分」に絶望して、また心身ともに沈んでいく悪循環をなんとかしてみようと思った。
そのために毎日たくさん寝る、力を貯める。
少し行動できたら、その何倍もの時間をかけて休む。
夏は仕方がないと諦めながら納得して、でも、そうすればちょびっとは動けることがわかった。
もちろん、環境にも感謝している。
親と友人と職場の理解がなければとっくに心折れていただろう。
告白するのは勇気のいることだったし、
特に親に伝えたときの心がひしゃげるような苦しみは忘れられないけれど、、
その行動がなければ、今の嬉しい気持ちになる自分はいなかったのかもしれない。
病気のことを告げてあるおかげなのか、自分の仕事が遅すぎるのを見かねてなのか・・・
仕事があんまりなかったこともありがたかった(笑)。
前は自分に割り当てられる仕事が少ないことに焦りを感じていたけれど、
今は本当に助かっている。
考えたって仕方ない、あるのは現実だけなんだから。
自分を信じることのむずかしさと振り絞った勇気を思うと、
当たり前に訪れる日は1日としてないのだと知る。
選択の連続に悶え苦しみ、1日が終わる。
明日のことは考える余裕がない、それが今は丁度いい。
行動すれば、前に進むための選択肢がいつの間にか増えていたりもするんだな。
このささやかな嬉しさで、今日もまた生き、誰かに感謝を伝えることができる。
それだけでもう、胸がいっぱいで、ここまで生きてこれて良かったのだと刹那的に思う。
そんな日は、自分の道に少ないながら種をまく。
いつかその花をつみに戻ることがあるだろう。
ありがとうと誰かに届けられる花、それが美しいか、良い匂いがするか、わからないけれど。
今しかない、届けられるのは。
だから、行動してみようと思った。少しずつでいいんだよとなだめながら。
今年も苦しい夏だった。
そして多くを学ぶ夏だった。
秋はほっとしたいなあ、そんなふうに思っています。