towelmuffler

写真とか、大事なこととか。忘れないようにするためのブログです。

好きを言葉で伝えられるうれしさ

言葉ってむずかしくて、つまり「思う」ってむずかしくて。

それでも思うことに向き合いたくて、こうして独り言のようにブログを使っています。

そこで書いてきたことを、とある企画に応募してみました。

ありがたいことに、大賞をいただきました。うれしいです。

50文字で綴ろう|バレーボール国内リーグ 50周年特設サイト

 

これらの記事で書いていることは、ずっと心にあって。

勝ち負けがあり、その中にも試合に出られる出られないっていうのもある。

喜びだけじゃ満たされない。

けれど、つながっていく喜びが「今」じゃなくてもこの先にあるとしたら。

魅力的な競技だと思う。好きだと思う。

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その競技を見るひとの数だけ、思いをあらわす言葉は生まれている。

人それぞれでよくて、なんなら言葉にせずとも。

拍手という手段も好きだ。写真を撮るという手段も好きだ。

いろんなかたちがある。

それを見つけていく楽しさもある。

好きなもの、楽しいものがあるというエネルギーは、気持ちを少し上向きにしてくれる。

心を揺さぶるプレーを見せてくれている選手たちはすごい。その姿に勇気付けられる。悔しい姿もまた、人間のリアルだ。

手でも足でもなんでも伸ばしてみたらボールが繋がるかもしれない。

楽しんでいたら、体が思うよりも動いてくれてその落ちそうなボールに届くかもしれない。

その1秒先、行動や考え方を変えていくことで、良い方向につながってゆくこともあるのだとプレー(という事実!本当に目の前で起こったこと!)を見ていて思った。くやしいをうれしいに変えることはできるんだと。

ガチガチに塞がって苦しい生き方だったけれど、少しだけ、ほんの少しだけだけど伸びやかになれた気がする。

バレーボールに出会えたことは感謝でしかなくて、これからもゆるーく色んなことを思ったり言葉にしてみたりしよう、とわくわくしています。

 

スポーツに限らず、心がぐわーっと揺さぶられると、きれいごとのような言葉が並んでしまう。感動させるような大げさ感を生み出してしまうこともある(気がする。自分の場合・・・)。それはそれで、自分のその時思ったことなので、いいのだが。さらに、こういうチャンスがあるかはわからないが、そのプレーを見た別の人の想いに触れたり、プレーをする本人の言葉に触れたりして、自分の心がぐわーっと広がっていくとなお良くて。そこにある想いはひとつではない、だからこそ、伸びしろがあり、窮屈ではなくて、探していける。

 

東レの富松選手に、最後の1点は富松選手でしたねと話すと「そうでしたっけ?」とふんわかしている。「そんな感じなんですねえ」「うん、そう」。たぶん大事なのは自分が決めたことじゃないんだ、それよりもみんなで重ねた24点と25点にいたるまでの仲間のふんばりだったんだなあ。

同じく渡辺選手に「優勝おめでとうございます」と伝えると「ありがとうございます。でも自分、出てないです」とさびしそうに笑う。「みんなちゃんと見てます。天皇杯決勝もファイナル6最終戦も、突然井手選手との交代になったときもしっかりゲームを続けられたことを」と話すと「へへ、そっすね」と顔が優しくなった。おめでとうと言われると、嬉しいはずなのに苦しいのは自分がそのコートにいないということ。主将だからなおさらなんだろうなあ。

豊田合成の高松選手に「ファイナル、悔しかったですね」と話すと、「はい、でも準優勝という結果はすごいことだと思うので、全然前向きです」と。この人、すごくファイターだけど、熱の納め方を知っている。こうなるにはたくさんの試合を重ねないとできないし、たくさんの人の想いと関わってこないとできないよなあと。

 

話してみないとわからなかったことだった。好き、が盲目(心)にならぬようにしたいと思わせてくれる彼らの言葉だった。