「自分のうつ」との記録(3)
タイトルの通り、
人によってはあまり気持ちのいい内容ではありません。
なのでワンクッション!
自分は色んな方の体験記を読んでヒントをもらっています。それらが全てなのではなくて、自分なりに少しずつ欠片をもらいながら、考えることをしています。ヒントはたくさん落ちていればいるほどいいかなと思ったので、こうやって書いて残しておこうと思いました。
9ヶ月目です。
春だからなのか、
それともあまりにも勝負事を目の前で見すぎたのか、苦しい方向に行きかけました。
ふー、あぶない。
だから、定期的に記録をつけて落ち着かせていきたいと思っていたのに間が空いてしまいました。
覚えている限りで今までを振り返ってみると、本当に「自分」「自分」で苦しそうだったね、わたし。
仕事においても、
趣味においても、
当事者でいたかった。特別になりたかった。
そのためにはどうしたらいいのかなって常に思うようになっていて、
いつのまにか正解を必ず出さなきゃいけない気持ちに勝手になっていって。
あー休みたいなあ!
あーはやくゴールしたいなあ!
でもきっとこんなことできるの最後だから一生懸命やりたいなあ!
息切れさせながら、ようやく、ようやくたどりついた日。
色んなことをとっちらかりながら好きになって、
それが集まったような企画になった気がします。
高校の美術の先生も、教え子の個展だと思って来たらしい笑。そういう捉え方もあるんだ、と幸せな気持ちになった。
今まで出会った大事な人たちと顔を合わせて話して、これって死ぬ前に思い出が走馬灯のように浮かぶってやつかなあと思った。
昨年の6月に病院で診断も受け、やっとメインの人生が終わりました。
あとは余生なのだ。余生と思うようにしても苦しいけど、進んで死ぬ理由もなくて。
いなくなりたいと日々思っているくらいなんだから、
当事者じゃなくてもいいじゃないか、
特別じゃなくていいじゃないか。
それでも、
思うことはやめなくてよくて、いろいろ考えてもいいじゃないか。
その想いやことばは
自分を苦しめるのかもしれない、喜ばせるのかもしれない。
未来への自分の手紙として写真や文章があるのなら、
カーッとならずに、
大切に選んでみよう、綴ってみよう。
ちょうど今朝、このブログの名前の由縁でもある
「タオルマフラー」についての記事を読んで、パワフルだなあと思ったし、無理してないかい?とも思った笑。
でもあの瞬間、嬉しくて伝えたくて仕方なくて精一杯だったのだろうなあ。
その熱が伝わってきて、電車で泣きそうになっていました。
こんなことがあるんだから、
無理に冷静にならなくていい。
大事なのは、大切にってことだ。