色々諦めてみた。でも「応援」をしているとき、確かに魂は喜んでいる
「生きがい」が、自分を違ういきものにした。
「生き物」
「良き物」
「善き者」
「好き者」
変換してみたら色々出てきて、どれも合っている気がする。
自分自身も制御できない、熱の塊になって、頭より先に身体が動いて、全国を飛び回った。
もうやれること何でもしたかった。
体力のある限り!お金がある限り!魂がある限り!
全部がなくなってみて、
おお、生きるってこんなに難しいものなのか・・・と実感したので、
夢中で駆け抜けていた時に考えなかったことを考えてみようと思った。
現在進行形でも考えているけれど、日々考えは変わっていくし、一向にまとまらない。
なので、まずは「諦める」ものを決めた。
根本的なこと。
生きていたい、いたくないに関わらず、
「生きている」ことは動かしがたい事実でこれはもう仕方ない。
これについて「なぜ」と考えることはもう答えが出ないと諦めた!
そして、
「なんのために生きるのか」
という問いも、昔からずっとこれってものが思い当たらないので諦めた!
「生き方」というものは、
決めたところで違うようになったら苦しいと経験上わかっているのでこれも諦めた!
「夢」は、
ない!
でも「やりたいこと」は、叶えたぞと思う。もう思いつかない。
ふと。
わあわあと西へ東へと移動しながら騒がしく生きていた時、そんなたいそうなこと考えていたかなあと。
頭でっかちになっていたときにかっこつけて考えていた時もあったけど、決めてしまうと苦しいものだったよなあ。
とにかくやってみたら、なにもかもに感動した。
傷つきもした、反省もした、でも後悔は絶対しなかった。
思い出すと、なんと「生きる」日々だったことか。
松田直樹を応援するところから、「生きがい」はスタートしている。
彼のおかげで出会えた心の友がいる。黒船さん。
彼女はまさに熱の塊そのもので、彼女がいたから遠い松本へ応援しに行こうと思えた。
熱を分けてもらったのだ。
そして、
応援に行った松本の地で、たくさんの人にさらに熱を分けてもらった。
初めてあんな大声で応援の歌を歌ったとき。
初めてバンデーラを肩にかけたとき。
初めてはだしで飛び跳ねたとき。
初めてハイタッチしたとき。ハグしたとき。
初めてダンマクをつけたり片付けたりしたとき。
初めてゲーフラを作って掲げたとき。
初めてダンマクを作って掲げたとき。
初めてボランティアに参加したとき。
少しずつ熱が、自分の内側から作られていった。
分けてもらった熱を、自分なりに燃やして、燃えすぎてもてあますこともあった。
そして絶妙なタイミングでざばっと雨が降って、火がしおれて消えかかる。
そこで再会したのがBOOM BOOM SATELLITESで、きっかけはまた黒船さんで。
10年ぶりにライブで見て、ステージから熱を分けてもらった。
川島さんを、川島さんを鼓舞する中野さんを、BOOM BOOM SATELLITESを応援したいと思った。「生きがい」ができた。
新しい友人と出会い、旅もたくさんした、美味しいものもたくさん食べた。
ライジングサンで生まれたての太陽を見て涙が止まらなかったし、ベイキャンプで雷と土砂降りに見舞われながら朝まで踊れたのは奇跡のようだったし、フジロックで踊りまくったあとのハイネケンがあまりに美味しくて死んでもいいと思った。
スタジアムでも、ライブハウスでも。
ここで死んでいいな!ありがとう!って思うたびに、五感が一瞬レベルで生きろと騒ぎ出して魂を揺さぶった。
「生きがい」に、情熱的に生かされていた。
「応援」をしているとき、魂ごと全てが生きていた、喜んでいた。
それだけは確か。
「応援」をすることで、自分がこんなにも励まされて「生きて」いただなんて。
夢中だった時に気付けなかったのは、熱を分けてくれた人たちへのたくさんの感謝です。
ありがとうございます!
久しぶりに応援ってなんだろうとかうんうん考えて、生きがいにお礼を言いに行くみたいな感じだったんだなあと思った。
— shindy_jdi (@shindy_jdi) 2016年6月15日
今は「応援」を自分に向けて、1日をなんとか「生きる」。
「生きていく」んじゃない、「生きる」。
それができた日は、からっぽのはずの魂が少しだけ喜んでいる気がする。
何を諦めても、「応援」することは諦めたくないらしい。