「最後の願い」のその先に。
奇跡的に晴れた今日は、父と母が京都に日帰り旅行へ行く日だった。
病気のこともあって旅行は無理だねと言い聞かせつつ京都に行ってみたかった母。やっとのことで行けることになったのに、天気が悪そうで神様を恨みそうになったけれど。
本当によかった。
母から「楽しかったよ!」とメールがきたので、うれしくてうれしくてこうやって文章に残しています。
6年前に実家の母が脳内出血で倒れ、日常になっていたものが一変した。
悲しかったり苦しかったりする日々に押しつぶされてしまいそうだったけれど、そこから目をそらさずにひとつひとつ決断し、行動できてよかったんだとそう思えることが増えた。
当時のことを思い出す。
麻痺で体が不自由になり、言葉もうまく発することができなくて、
そんな自分自身に絶望していた母を見ているのがつらかった。
元気なころの自分を取り戻したいのに取り戻せない歯がゆさに、命はとりとめたものの弱っていくのを近くで見るのは堪えた。
どんな言葉をかけたらいいのかわからなくて、それでも勝手だけどわたしのために生きていてほしかった。元気になってほしかった。
わたしたち家族は、それぞれ諦める勇気を胸に、とにかく明日生きることを考えた。
それからこつこつ6年、本当に色んなことがあった。
つらいことも多かったけれど、うれしいことが今までの何十倍もうれしく感じた。
最後の願いも、夢も、もうかなっているのだけれど。
それでも、今日みたいなことがあると、
生きているとそんな、最後を超えるようなうれしさに出会えたりするものなんだなと泣けてくる。
もしまた明日がやってくるのなら、
それはそれでいいのかもしれないと思える日だった。
「いない」今を、生きている。
10月9日はBOOM BOOM SATELLITES川島道行さんの一周忌。
<2015年のツアー「FRONT CHAPTER Vol.4 @渋谷CLUB QUATTRO」より>
明日は川島道行の命日。
— BOOM BOOM SATELLITES (@BBS_nakano) 2017年10月8日
あの日の事を思い出すと感謝と感動が蘇ります。生き抜く事は素晴らしい。そう教えてもらいました。川島くんと過ごした時間と記憶の全てが、今も血となって身体中を駆け巡っている。生きている。最高の友人です。
中野さんの言葉。伝えてくれる今の彼の言葉に涙が止まらなくて。
川島さんが、中野さんの中で息づいているんだってこと。それは中野さんの変化で伝わってくる。
<2015年のツアー「FRONT CHAPTER Vol.4 @仙台Rensa」より>
死ぬまで、生きる。
川島さんはそんなふうに、力強く生きていた。
ステージから、溢れる生命力。それは自然のように静かに力強いもので。時に昇る太陽のような、時に地下を流れる水のような。
音を発しているのに、静かというのもおかしいかもしれませんが、そう感じました。
思えば初めてBOOM BOOM SATELLITESの音をじかに浴びた時に「洪水だ」と感じて。それもまた自然の圧倒的な力強さというか。
新しいものを体と心にぶち込まれる、でもそれは懐かしく温かいものでもある。押し出されるように涙が出る。汗をかき、涙を流す、笑顔になる、そしてビールを気持ちよく飲む。
そういう幸せな循環を約2年、させてもらった。愛おしすぎる日々にどうしてもさよならができなかった。
「Diamond In Your Heart」という曲の歌詞に
『自分の可能性を発揮できないと
他人の人生を見ているだけになる』
というのがあって。まさに自分はそうで。
Diamond In Your Heart (vocal:細美武士) / TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA
いつだって誰かの人生に支えを求めて、何かに夢中になることで自分の人生を生きているような気になっていた。
だから、いなくなってしまったときに目の前が真っ暗になって、好きなものが心や体に生き続けていることを忘れてしまいそうになった。
それはそうで、好きなものの中に居場所を作ろうとしていたからだ。そうじゃなくって、自分の中に好きなものの居場所を作ればよかったんだなあって。
それに気付いてからは、少しずつ、本当に少しずつだけど好きなものとの接し方を変えている。
このことは松田直樹選手の七回忌のときに書いた。
自分の可能性もしぶとく探している。
そんな中で、BOOM BOOM SATELLITESのおかげで出会えたこと、気付けたことがすごく糧になっていることに気付く。例えばカメラ。
1枚目の写真を撮らせていただいたものです。今日のお写真にしてくださってありがとうございます...!中野さんの撮る川島さんのお写真があまりにも素敵でカメラを始めたので、嬉しいです。
— shindy_jdi (@shindy_jdi) 2017年8月24日
川島さんの笑顔の近くに中野さんが、そして洋子さんの笑顔もありましたね☺️(かんじさんも!) pic.twitter.com/D4z826wwQl
川島さんの笑顔。素敵だな。
— shindy_jdi (@shindy_jdi) 2017年8月24日
最高にカッコよくて、最高にカワイイ。時折ハッとするほどきれいに澄んでいる。
客席に惜しみなく注ぐ、柔らかい笑顔が忘れられない。愛情をありがとう。ずっと大切にするね。 pic.twitter.com/CXjZFRDBbN
ありがとう。
この言葉をもう何度も伝えてきたけれど、じかに伝えることができない今はとても苦しくて切ない。
でも、伝えることのできたあの日があったから、こういう新たな気持ちが自分の中に生まれるんだ。
別れる悲しみ以上に、出会えた喜びがある。触れ合えた幸せがある。
そういう自分にとって大事なことを、心のど真ん中に置く。
ずっとずっと大好きですよ、川島さん。またお会いしましょうね。
『君と旅した思い出が曲がった魂整えてく。今日もありがとう』(by スピッツ「僕はきっと旅に出る」)
『新しくなることを畏れるな』(by TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA(vocal:細美武士) 「Diamond In Your Heart」)
誰のためのわたし
誰のためのわたしなんだろう。
仕事をしながら、ふとそんな言葉が浮かんだ。
ヤな言い方しちゃったかなあとよく思い悩んだり後悔をして、
「謝っちゃおう」
と思うんです。
でも、やだなーって思うんです。
今日もまたそんな場面があって、うーんどうしよ、ってなってふと
まてよ?
自分、ヘンでいいじゃん。
オカシクていいじゃん。
ダメでいいじゃん。
あいつ、性格わりーなあ変なやつだなあ仕事しにくいなあって思われてて何がいけないんだろう。
誰のためのわたしだっけ?
だめならだめで、そういう結果がやってくるだけ。
謎の予防線張るのを少しずつやめてみる。諦めてみる。
ガマンはガマンを呼びそうで。
秋は軽く、心を軽く。
そして楽しい日を増やす。
夏をがんばったごほうびを!
「自分のうつ」との記録(8)
タイトルの通り、
人によってはあまり気持ちのいい内容ではありません。
なのでワンクッション!
自分は色んな方の体験記を読んでヒントをもらっています。それらが全てなのではなくて、自分なりに少しずつ欠片をもらいながら、考えることをしています。ヒントはたくさん落ちていればいるほどいいかなと思ったので、こうやって書いて残しておこうと思いました。
続きを読む「いない」今をゆっくり歩く。
今日8月4日は松田直樹選手の命日。6年が経った。
今年は文字にしてみようと思っていた。昨年は自分が生きてるだけでいっぱいだったから。
大好きな選手が、いない。
存在自体を心の支えにしていたから、その反動は長い時間をかけて大きくなっていった。
最初のころは、前向きに!と奮い立たせていた。上級救命講習も受けに行った。松本でも講習を受けさせてもらった。悲しみを減らしたいという気持ちはあったけれど、自分の悲しみにしっかりと向き合ったのかといえばそうではなかった。
年々虚無感が増していって、スタジアムに行ってサポーターの方々が熱くなっていればいるほど『自分には、その一挙一動を喜んだり悔しがったりする大好きな選手はここにはいないんだよ』といういじけた気持ちになった。あまりスタジアムにも足が向かず、サッカーの放送すら見なくなっていった。ちょっとした情報もわずらわしくてSNSも見なくなっていった。
静かに心が閉じていった。
そんなころ、大好きなバンドBOOM BOOM SATELLITESと旅に出ることが元気の源だった。とても幸せだったけれど、メンバーの川島道行さんが2016年10月9日に星になった。
堪えた。
喪失感と虚無感ばかりが心を支配して、息を止めながら水にずっとつかっている心地だった。
好きなものが居る場所に、自分の身を必死で置きたかったのだと今では思う。それがなくなるとひどく悲しく不安になり、時には怒りにもなった。しかし「本人そのものがどこにもいない」という現実を思い出すと、そんな感情すら無になった。
これから自分は生きていて、どうする? 何も思い浮かばなかった。
生きるのにお金がかかるから働くというのなら、いっそ生きていたくはなかった。
そんなことを考えながら過ごすのはとてもとても苦しかった。
だからこの1年は、物事との向き合い方を考え直す日々になった。
好きなものの中に自分の居場所を作るのではなく、自分の中に好きなものの居場所を作る。そいつが胸を熱くしたり、お腹から思いっきり声を出させてくれたりする。いきなりありがとうと伝えたくなったり、涙があふれてくるのは近くも近く、自分の中にあるからなんだよなーって。
— shindy_jdi (@shindy_jdi) 2016年8月19日
ブルーハーツの「情熱の薔薇」という歌が昔から好きなのですが、最近になって『そんな気持ちわかるでしょう』という問い(?)に深く頷く自分がいる。
— shindy_jdi (@shindy_jdi) 2016年8月21日
ヒロトさん自身を答えにするのではなく、ヒロトさんの発するもので照らされる自分の想いを見つけるとき、花瓶に水をあげられたなと思う。
出会えて嬉しくて、共有した時間はとても幸せで、それは本当のこと。
その感情は自分の中で起こったことなんだから。
大好きな選手が、いない。
「いない」今を、歩むこと。
それは自分の道に他ならず、道から作るその作業はとても大変だと知る。
そんなふうに、ゆっくり考えながら、立ち止まりながら、道を作っては歩いてみてるよ。
マツ。
前(Avanti)を向く、越川優選手の『心のど真ん中』にあるもの
プロビーチバレーボール選手へと転向した、越川優選手の初エッセイ「道なき道を。-運を手繰り寄せる7つの言葉」を読みました。
越川選手の「軸」とは。
その行動を起こさせる「原動力」とは。
いつだって前(Avanti)を向く、向こうとする越川選手の
『心のど真ん中』にあるもの、それに出会える一冊でした。
※Avanti=イタリア語で「前へ、前進」という意味
バレーボールという競技に出会ってから約2年という短い期間ではあるけれど、越川選手がコートの中で見せてくれたプレーや振る舞いから、びしばしと感じ取るものがたくさんありました。
目の奥に焼きついているあの場面、あの表情。どんな想いだったんだろう。
改めて、文字になって胸に沁みていく。
大好きな選手だから余計に深く。
そういう機会を作ってくれたこの本にとても感謝をしています。
自分の言葉で伝えようとしてくださって、ありがとうございます。
それが、どれだけ嬉しいことか。
これから体育館でその姿を探せないことは、正直さみしいです。
越川優選手は、愛されている。
— shindy_jdi (@shindy_jdi) 2017年2月8日
対戦相手にも、今期でインドアを離れることを惜しまれている姿を多く見かけた。
まだチャレンジマッチ、黒鷲旗がある。彼の挑戦は続いている。プレーを見れば、さびしくなる以上に、きっとこれから先も挑戦を続ける場所で愛されていくんだろうと嬉しくなれるはず。 pic.twitter.com/0S0H9MlHCN
それでも。越川選手は前へ歩む「今」を生きている。
多くの不安もあるだろう、けれど常にどうしたらいいかを考え、決断し、行動する「今」を。
だから、今。
今の姿を見ます。
どんな道も、今があって始まる。その連続なんだと思いました。
チャレンジすることを続けてきた越川選手だから。
最初は不安だらけの名もない道にも、これまでのように喜びが、そしてたくさんの感情が、花のように様々な色を持って、新しく尽きることなく生まれていくんじゃないかと思っています。
そして、それに触れた人たちが、感動をもらって新しい道を見つけてゆくのかもしれないと。
自分はそうだったから。
越川選手への感謝の気持ちがずっとあります。
自分の芯を少し強くしてくれている存在。
越川選手が歩む、道なき道に出会えたことは、自分にとって大きな出来事でした。
2015年4月5日。
JTサンダーズが創部初の優勝を決めた日。
バレーボールという競技を初めて観戦した日であり、越川優選手のプレーを通してバレーボールを好きになった日でもありました。
越川選手のプレーを見てから、バレーボールに惹かれる日々がはじまったんだ。
— shindy_jdi (@shindy_jdi) 2017年1月6日
一瞬一瞬が勝負。競技に疎い自分も、この場面は大事なんだとそのプレーや表情で理解する。そして、ここぞで必ずサーブの順がまわってくる。ユニフォームで顔をぬぐいボールを構えると、緊張と期待が会場に満ちる。 pic.twitter.com/Zr5ymsRi9N
それをきっかけにして、日常的にバレーボールを見るようになり、その積み重ねを言葉にしたいと思い、とある企画に応募しようと決めました。
50文字で綴ろう|バレーボール国内リーグ 50周年特設サイト
ありがたいことに大賞をいただき、やってみたいと思う気持ちを諦めないようにしようという勇気をもらいました。
毎日が挑戦な今、越川選手の存在を思い出しながら励みにさせてもらっています。
【背番号「7」】
— shindy_jdi (@shindy_jdi) 2017年5月18日
といえば、と聞かれたら。
「越川優選手」と答えたい。
初観戦で越川選手のプレーを見ることができたのは、自分にとって最高の出来事だったと思っている。
バレーボールの魅力をガツンと教えてくれた存在。
心に強く残る、大好きな選手がいるってことはこんなにも嬉しいんだ。 pic.twitter.com/nvqNnRwtZ6
越川選手が作ってきた道なき道は、
世界でたったひとつ、誰ももっていない強みになる!
たくさん踏みしめて、転んで、ときには蹴り飛ばし、流した涙と汗がしみこんだ土や、
その土から力強く芽吹いた草木や、咲き誇る花が、
今の越川選手の歩みを助け、輝かせてくれますように!
よろしければこちらも。
本の第1章「オリンピックへのこだわり」での書かれている、
岡谷工業高校バレーボール部での1年生歓迎会でさっそく
『高校卒業したらオリンピック出ます』
と宣言していたというエピソードなど。
■ラジオ「MY OLYMPIC(越川優選手出演分)」書き起こし
■これまでに書いた越川選手の記事
「自分のうつ」との記録(7)
タイトルの通り、
人によってはあまり気持ちのいい内容ではありません。
なのでワンクッション!
自分は色んな方の体験記を読んでヒントをもらっています。それらが全てなのではなくて、自分なりに少しずつ欠片をもらいながら、考えることをしています。ヒントはたくさん落ちていればいるほどいいかなと思ったので、こうやって書いて残しておこうと思いました。
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